メンズファッション流行・トレンド情報

スポンサードリンク

50年代ファッション

日本では、戦後の混沌とした雰囲気を徐々に取り除き、ファッションの都パリからの影響を多大に受けて一挙に消費文化が花開いた時代です。テレビや映画などの娯楽の普及によって、その中に登場する主人公のファッションや生き方が庶民の装いに深く関係しています。 例えば、1956年に芥川賞を受賞した石原慎太郎の「太陽の季節」では、まさに戦後のはちゃめちゃで自堕落、不道徳といわれていた50年代を生きる若者の姿が描かれていました。同タイトルの映画が放映されると同時に、登場人物の俳優たちのファッションを真似る若者たちが多く登場することになります。

そして、彼らは映画のタイトルのごとく、「太陽族」と呼ばれるようになります。 太陽族の代表的な特徴として、原作者である石原慎太郎の「慎太郎刈り」。これは、スポーツ刈りの前髪を短く刈りそろえないで額に垂らしておくスタイルでした。そのヘアスタイルとともにアロハシャツを着て、マンボズボンを履き、ツートーンカラーの靴にサングラスをつけるスタイルが定番的でした。 マンボズボンは、後のロカビリーファッションにも引き継いでトレンドとなったアイテムです。ロカビリー族も太陽族と同様に、社会現象を象徴するスタイルでした。また、アメリカからの映画普及の影響により、古い既成概念を捨てて、「自由」を謳う若者が多く出てきました。戦争が終わり新しい時代への幕開けを象徴しており、また豊かな世界への憧れを示したものでもありました。

60年代ファッション前半

60年代前半のファッション

60年代は、日本のメンズファッションの歴史の中で今日に至り、数々の影響を及ぼしたスタイルが誕生した時代です。 日本全体が高度成長期を迎えたことにより、ファッションのバリエーションが一気に広がります。まず、「アイビールック」。これ抜きに60年代のメンズファッションは語れないでしょう。ブランド〝VAN〟を中心として一代ブームを巻き起こした「アイビールック」は、そもそもアメリカの東海岸の名門8大学のアイビーリーグの中から生まれたスタイルでした。ずんどう型のシルエット、3ボタンのジャケットの内上2つを掛けるというスタイルに、ナチュラルショルダーのラインをプラスした細長いストレートなシルエットが象徴的なものです。また、ボタンダウンシャツ=アイビーシャツという公式を生み出したのもこの「アイビールック」です。

1964年の東京オリンピック開催と年の、同夏1シーズンだけ突然銀座のみゆき通りにあらわれた「みゆき族」という若者の集団がいます。このファッションの特徴は、冒頭のアイビールックを少し崩したスタイルです。オリンピックの開催において風紀を取り締まるために、この「みゆき族」は一斉に補導され幻の社会現象にものなりました。 同じ頃、ビートルズの来日により、彼らのスタイルの影響を受けた「モッズスタイル」が流行します。ロンドンの郊外や下町から発進されたスタイルで、日本ではグループサウンズや、タイガースなどがそれらのスタイルの影響を受けた代表的なバンドです。

60年代ファッション後半

同じ頃、ビートルズの来日により、彼らのスタイルの影響を受けた「モッズスタイル」が流行します。ロンドンの郊外や下町から発進されたスタイルで、日本ではグループサウンズや、タイガース、そしてザ•スパイダーズなどがそれらのスタイルの影響を受けた代表的な日本のバンドです。 「モッズスタイル」のスタイルは、ドットやフラワープリントなどのウエストシェープした派手なシャツに、上下共にスリムなシルエットのスーツ、長髪に船員帽などをかぶるものでした。パンツの股上は極端に浅く、アクセサリーとして極太い幅のネクタイを締めたり、ハイカットのブーツを履いたりしていました。 後に、モッズコートと呼ばれるカーキの軍服ベースのコートが流行り、それをスーツスタイルの上に羽織り、ベスパに乗るのが最も粋なスタイルとされていました。

60年代も終わりに近づいた1967年、アングラ文化の発祥の地、新宿に「サイケ族」と呼ばれる新しいスタイルの若者の集団が現れました。彼らの中には数多くのアーティストもいたのですが、基本的に仕事もろくにせず、汚れたよれよれのTシャツにジーンズ、素足にサンダルを履いて無精髭をはやし長髪、といったいでたちでした。「ヒッピー」や「フーテン」と呼ばれるスタイルもこの「サイケ族」に含まれます。これは、アメリカのカウンターカルチャーの象徴であるウッドストックの影響を少なからず受けたスタイルであったといえます。社会の既成概念に対し、反抗的な態度や思想がファッションに現れたものです。

70年代のファッション 前半

70年代は、60年代に登場した多くの斬新なスタイルを継承した進化版スタイルから幕開けしていきます。 まず、ジーンズ。もとをたどれば「サイケ族」のひとつのジャンルとされていたヒッピーが〝自由〟を謳い、反社会的なスタイルを体現するために取り入れたアイテムでした。流行しはじめた頃はストレートジーンズ主流でしたが、のちに腿の部分はぴったりフィットしていて、膝から裾にかけて大胆にフレアーになった〝ベルボトム〟と呼ばれるスタイルが主流になっていきます。地面に引きずるほどに大きく端に広がったそのシルエットを称して、〝ラッパスボン〟とも呼ばれました。

70年代前半のファッション

コーディネートする靴は、底上げされたプラットフォームシューズで高いもので10センチ以上の厚みのものがありました。トップスは、英語文字やイラストが描かれたタイトなTシャツ。 このように、もともとアメリカで作業着だったはずのジーンズが、ファッションの中に取り入れられるようになり、日本のメンズファッションにも浸透していきました。ジーンズと同時にまたファッション化したものが作業着です。これは、ベトナム戦争が終結し大勢の日本の若者が帰国し、彼らがそのスタイルをもったまま日常生活に戻ってきたためだといわれています。

70年代ファッション 後半

70年代後半は、アウトドアファッションやスポーツウェアがストリートの若者のスタイルに取り入れられることからはじまります。 アウトドアからは、ダウンジャケット、ダウンベスト、そして今日では当然のごとくファッションの必須アイテムとなっているスニーカーやトレーナー、そしてテニス、サーフィン、ジョギングなどのスポーツからの ファッション化したアイテムが登場します。アウトドアウェアだったアイテムがストリートでカジュアルファッション化することを「ヘビーデューティ」と呼びます。 この時代は、また多くのファッション雑誌が創刊された時でもあります。 anan、クロワッサン、JJ、moreなどがそれにあたります。

70年代後半のファッション

1975年頃から出たきた、神戸発信のお嬢様ファッションを「ニュートラ」、そして横浜発を「ハマトラ」と名付けたのは、雑誌ananでした。 これらの雑誌の登場により、雑誌モデルが登場するなどという一大ブームを巻き起こし、読者にとって多大な影響を巻き起こしました。 ほぼ、これと同時期に全国で注目されるようになったのが、「竹の子族」です。その奇抜なファッションさながら、集団で原宿の歩行者天国(ホコ天)に集まる彼らの行動がメディアにも注目されました。ラジカセからアラベスク、ジンギスカンなどのキャンディーズポップスを流し、原色でプリントものの生地をふんだんに使ったスタイルに強烈なメイクをしていました。

80年代のファッション

80年代は、DCブランドの登場と共に、メンズファッションに新しい風が吹きはじめます。DCブランドというのは、デザイナーズ&キャラクターズブランドの頭文字を略した呼び方で、デザイナー自身の個性や思想を全面に強く押し出したタイプのブランドのことで、大企業のアパレルメーカーの類いとは一線をかしています。 70年代に登場したファッション雑誌に商品を掲載していくことで、DCブランドは読者たちにその存在をアピールしてきましたが、それが花開いたのが80年代です。

我が国を代表する世界的ブランド、ヨウジヤマモトやコムデギャルソンはこの先駆け的存在といえるでしょう。 DCブランドとはまたまったく違うところで、社会現象を反映したスタイルが登場します。バブル景気を象徴したボディコンスタイルが女性に好まれたのはこの時代です。その女性たちに連れ添う男性のスタイルは質の良いスーツスタイル。ワンサイズ大きめのダボッとしたシルエットが好まれました。

後半になり、この時代を象徴する新しいファッションの流れとして忘れてはならないのが、「渋カジ」です。白いポロシャツやTシャツに輸入物のジーンズ、紺のブレザー(紺ブレ)というスタイルです。このスタイルを主に作り出したのは、渋谷区、港区、世田谷区などの首都圏の私立男子高生でした。